Epic Games Storeは2018年12月の開店以来、ほぼ毎週1〜3本のゲームを無料で配り続けています。最初の無料タイトルはSubnautica(2018年12月12日〜27日)で、それから7年以上、このペースは途切れていません。一方で、企業が単発で仕掛ける無料キャンペーンの多くは、一度話題になった後、次の四半期には静かに終わっています。同じ「無料で人を集める」施策なのに、続けられる企業と、やめられなくなって重くなっていく企業を分けているものは何でしょうか。
私は、Epicの無料配布は「獲得単価の安さ」を真似る施策ではないと考えています。真似すべきなのは配布規模ではなく、配布原資が配布対象の外にある企業だけが打てる、という構造そのものです。Fortniteのような巨大な原資と、開発者への88/12という提案を持たない事業者が配布の規模だけを模倣すると、取得数だけが積み上がって終わります。この記事で扱うのは、Epic Games Storeの公式発表と、Epic Games, Inc. v. Apple Inc.の裁判で開示された資料の範囲までです。個別タイトルの契約条件やEpic社内の意思決定プロセスまでは分かりませんし、ゲーム以外の業界での再現性も検証していません。
この記事を書く動機は、無料施策の議論が「獲得単価の安さ」や「話題性」に矮小化されがちだという問題意識にあります。ロスリーダー戦略ですでに立てた「回収経路」「終了条件」という判断軸を、供給者への提案と原資の切り離しが加わるプラットフォームの無料配布に広げて考えると、Epicの事例はその判断軸を検証する材料になります。
無料配布を続けられるかどうかを決めるのは、配布した商品そのものの採算ではありません。プラットフォーム事業では、配布コストを負担する収益源と、配布対象の採算が別会計になっていることがあります。この状態を、本記事では配布原資の切り離しと呼びます。
Epicの場合、配布原資はFortniteとUnreal Engineです。詳しい数字は次節で見ますが、先に言っておくと、Epic Games全体が黒字を積み上げている間、Epic Games Store単体は長年赤字を出し続けていました。配布原資の切り離しとは、この「赤字を出している事業」と「それを埋められるだけの利益がある事業」が、社内で別会計として管理されている状態を指します。
無料配布が投資として機能するには、取得後の行動が有料接点へつながる経路が必要です。本記事ではこれを回収導線と呼び、再訪、関連購入、周辺サービスの利用という3つの経路を指す言葉として統一して使います。
ここで注意したいのは、回収導線は「無料で取得した直後に買う」という単純な経路ではないという点です。Epic自身、無料ゲームを受け取った利用者のうち、その後ストアで何かを購入するのは16〜18%にとどまると明らかにしています。低い数字に見えますが、Epicの担当者は「新規獲得単価で見ればこれに勝る手はない」とも述べています。回収導線の実態は、直後の購入率の高さではなく、アカウントという接点そのものが残り続けることに置かれています。
この構造はロスリーダー戦略と似ていますが、プラットフォームでは見方が変わります。ロスリーダーは、目玉商品の赤字を「回収経路」と「終了条件」という2つの言葉で判断します。Epicの無料配布もこの2つの軸で読めますが、それに加えて、供給者(タイトル提供元)への見返りという、プラットフォーム特有の設計が必要になります。ロスリーダーが単品の値引きで完結するのに対し、Epicの無料配布は供給者との取引条件そのものでもある。ここが最大の違いです。
なお、F2Pゲームの収益構造が扱うのは、ゲームというプロダクト単体の課金設計です。本記事が扱うのは、そのプロダクトを並べて配布するストア側、つまりプラットフォーム側の無料配布であり、対象の階層が異なります。
Epic Games Storeの背後にあるのは、Fortniteの収益です。裁判の過程で開示された資料や当時の報道によれば、FortniteはiOS版だけで2018年3月の配信開始から8,800万ダウンロード・6.31億ドルの売上を、Android版は2018年8月の配信開始から8,000万ダウンロード・4,700万ドルの売上を記録していました。Epic Games全体では、2019年に売上42億ドル、EBITDA7.3億ドルを計上しています。
この利益を背景に、Epic Games Storeは意図的に赤字を出し続けてきました。同じ裁判資料によれば、ストア単体では2019年に約1.81億ドルの赤字、2020年は開発者への最低保証だけで4.44億ドル(同年の想定売上4.01億ドルを上回る額)を計上し、2021年時点でもなお約1.39億ドルの赤字が見込まれていました。開設からの累計損失は5億ドル近くに達し、Appleは裁判で「ストアが黒字化するのは早くて2027年」と主張しました。Epicは2023年の別の法廷で、ストアがいまだ黒字化していないことを認めています。
Epic Games全体が稼ぎ、ストア単体は赤字を出し続ける。これが配布原資の切り離しの、数字で見た実態です。
無料配布プログラム自体の経済性も、裁判で開示されています。この内訳は、Epicが意図して公開した数字ではありません。証拠開示の過程で、本来伏せられるはずだった社内文書が公開資料に紛れ込んだことで明らかになったものです。
開始から最初の9〜10か月(2018年12月〜2019年9月)で、Epicは無料タイトルの買い切りに約1,166万ドルを投じ、約500万件の新規アカウントを獲得しました。新規アカウント1件あたりの平均コストは2.37ドルです。ただし、この平均はタイトルごとの幅を均してしまいます。
| タイトル | 買い切り費用 | 新規アカウント数 | 1件あたりコスト |
|---|---|---|---|
| Batman: Arkhamトリロジー | 150万ドル | 61万3,912件 | 2.44ドル |
| Celeste | 75万ドル | ダウンロード270万件のうち新規6万2,500件 | 12ドル |
この他、最初の無料タイトルだったSubnauticaには約140万ドルが支払われ、新規アカウント獲得数は無料配布タイトルの中で最多だったと報じられています(SlashGear)。ただし具体的な件数は開示資料の報道からは確認できません。
Celesteの数字が示しているのは、ダウンロード数と新規アカウント数は別物だということです。270万件のダウンロードのうち、新規アカウントにつながったのは6万2,500件だけでした。残りの大半は、すでにアカウントを持つ既存ユーザーが、もう1本タダで受け取っただけです。無料配布の効果を「配った本数」や「ダウンロード数」というCPA的な一つの数字に集約すると、この違いは見えなくなります。
Epicが開発者・パブリッシャーに提示しているのは、単なる「無料にしてくれ」という依頼ではありません。ストアの標準レベニューシェアは2018年の開店当初から88/12(開発者が88%を受け取る)で、2025年6月からは、年間売上100万ドルまでの取り分をさらに0%に引き下げ、それを超えた分にのみ88/12を適用する形に改定されています。無料配布そのものについても、先に見た通り2020年だけで4.44億ドルの最低保証を支払っており、これは「無料にしてもらう代わりに、確実な現金を保証する」という供給者向けの提案です。
Unreal Engineのライセンス条件も、この供給者提案とつながっています。Unreal Engineは、製品ごとの生涯累計売上が100万ドルを超えた分に対して5%のロイヤリティを課しますが、Epic Games Storeでの売上にはこのロイヤリティがかかりません。Unreal Engineを使う開発者にとって、Epic Games Storeで売ることには構造的な経済メリットがあるということです。無料配布でストアの来訪者を増やすことは、この特典を持つ開発者の裾野を広げることにもつながります。
ここまでの事実を、無料配布が機能するための4つの仕組みとして整理し直します。
先に見た通り、重要なのは金額の大小ではなく、赤字を出す事業(ストア)と原資となる事業(Fortnite、Unreal Engine)が、社内的に別会計として管理されている点です。この切り離しがない事業者は、無料配布のコストを配布対象自身の採算で正当化しようとしてしまい、続けられません。
無料配布は、単発の話題づくりだけでは弱く、利用者が定期的に戻る理由を作れてはじめて効きます。Epicが作っているのは、ほぼ毎週の更新リズム、受け取りに期限があること、そして受け取ったタイトルがアカウントのライブラリに残り続けることです。ライブラリに並ぶタイトルは、それ自体が「一度見に行く」動機になります。
無料配布は利用者向け施策に見えて、実際には供給者との取引条件でもあります。Epicが提示しているのは、88/12という高い取り分、最低保証という現金の確約、そしてUnreal Engineのロイヤリティ免除という、複数の経済的メリットの束です。供給者側の便益が弱ければ、無料配布は一時的な話題で終わります。
回収導線が成立するのは、取得直後ではなく、その後も接点が続く場合です。Epic自身の「無料受け取り後の購入率は16〜18%」という数字は、直後の回収を急いでも大きくは変わらないことを示しています。無料で接点を作り、その後の自然な再訪と有料接点を積み上げる方が、プラットフォーム施策としては安定します。
ここまでの整理で見えてくるのは、Epicの無料配布が「うまくいった施策」として単純に真似できるものではない、ということです。
真似できないのは、配布原資そのものです。Fortniteという規模の利益を、無料配布の原資として社内で切り離せる企業はほとんどありません。原資を持たないまま配布の規模だけを真似ると、取得数だけが積み上がり、回収導線につながらない施策になりやすいと考えられます。
一方で、Epic自身の結果を見ても、この施策が計算通りに進んだわけではないという事実は重要です。Epicは2021年の時点で、ストアの赤字を「無料配布への先行投資」と位置づけ、2023年には黒字化すると説明していました。しかし2023年の法廷では、ストアはまだ黒字化しておらず、無料配布などによって不自然なほど速いペースでの成長を狙った計画が、期待通りには進まなかったことを認めています。原資を切り離せる規模の企業でも、無料配布は思い通りの回収速度にはならない。この点は、無料配布を検討する側が持っておくべき期待値の材料になります。
では何が真似できるのか。私は、後発の事業者が確保できるのは配布の規模でも回収の速さでもなく、回収導線を配布より先に置く順序だけだと考えています。何を無料にするかを決める前に、どこで回収するかを決めておく。Epicほどの原資がない事業者ほど、この順序を守れるかどうかが、無料施策を「投資」で終わらせるか「安売りの繰り返し」で終わらせるかを分けます。
自社で無料提供を検討するときは、次の順に決めておくと、施策を感情や話題性だけで続けるリスクを減らせます。
| 無料で得たい行動 | その後の回収導線 |
|---|---|
| 新規会員化 | 有料プラン案内、継続課金、関連商品の提案 |
| 来訪習慣 | 定期更新、関連コンテンツ、通知設計 |
| 供給者との関係強化 | 継続出店、共同販促、別商材への接続 |
このプライシングメディア自体も、実は無料オファーです。記事という形で情報を無料にし、その代わりに読者の時間と関心を得て、問い合わせという回収導線に接続する構造になっています。Epicの4項目をこの記事自体に当てはめると、無料にしているのはコンテンツ、得たい行動は読了と関心の継続、回収導線は問い合わせフォームということになります。トラフィックや転換率のような内部の数字はここでは明らかにできませんが、少なくとも「何を無料にし、代わりに何を得て、どこで回収するか」という3点を自分の言葉で書けるかどうかは、この記事を書いている私たち自身にも問われる基準です。
Epicの無料配布から持ち帰ってほしいのは、数字の大きさではありません。赤字を出し続けてでも配布を続けられる原資があるか、そして原資がないなら、回収導線を配布より先に決めているか。この2つの問いに自分の言葉で答えられるかどうかを、無料施策を始める前の判断材料にしてもらえればと思います。
本記事はネクサフローのプライシングシリーズの一部です。