同じ「コスト削減」が、ある会社では品質を壊し、別の会社では品質を上げます。トヨタの原価企画やIKEAのフラットパック設計は、削減額で見れば決して控えめではありませんが、それでも品質は壊れていません。
私は、品質を壊すのはコスト削減の「量」ではなく「順番」だと考えています。顧客が離反やクレームに転じる品質の下限、これを本記事では品質フロアと呼びますが、この下限を明文化する前に削り始めた削減は、金額が小さくても品質を壊します。逆にフロアを先に固定できていれば、大きな削減でも品質は守れます。
このシリーズでは、コストプライシングの神髄で価格の下限(価格フロア)を、トヨタ式「原価企画」で境界固定という運用規律を扱ってきました。本記事はその2本を価格でなく品質の側に適用すると何が言えるか、という素振りです。
ただし、この記事が扱うのは、設計段階でコストの大半が決まる製造・製品型のビジネスです。提供品質が担当者個人の技量に左右されるサービス業まで同じ判定で切れるかどうかは、ここでは判断していません。
品質フロアとは、顧客がクレームや離反に転じる、品質の下限境界のことです。コストプライシングの神髄で扱った価格フロア(提供を続けられる下限を固める考え方)の対概念として、ここで定義します。
反論できる形にするため、線引きをはっきりさせます。品質フロアより上にある品質は、コストとの兼ね合いで削ってよい対象です。品質フロアに触れる削減は、金額がどれだけ小さくても認めません。フロアの位置を先に決めていない削減は、量に関わらず品質を壊すというのが、この記事の立場です。
品質を単一の「コスト」として扱うと、判断を誤りやすくなります。ASQ(American Society for Quality)が整理する品質コスト(Cost of Quality, COQ)は、品質に関わるコストを4つに分けます。
| カテゴリ | 内容 | 例 |
|---|---|---|
| 予防コスト | 不良を防ぐためのコスト | 教育訓練、設計レビュー |
| 評価コスト | 不良を検出するためのコスト | 検査、テスト |
| 内部失敗コスト | 出荷前に発見した不良のコスト | 手直し、廃棄 |
| 外部失敗コスト | 出荷後に発見した不良のコスト | クレーム対応、リコール |
品質フロアの議論に先立ってこの4分類を固定しておくのは、次の節で見る「予防コストを増やすと総コストが下がる」という一見逆説的な現象が、カテゴリを混同したままだと理解できないためです。
直感に反しますが、予防コストを増やすと、総品質コストは下がることが多いとされています。予防に投資して不良の発生そのものを抑えれば、内部失敗コストと外部失敗コストが、増やした予防コスト以上に減るためです。
予防コスト ↑ → 不良発生 ↓ → 失敗コスト ↓↓ → 総コスト ↓
次の数字は、自社の実測データではなく、ASQのCOQフレームワークが示す典型的なパターンを表すための仮設例です。自社の予防投資(教育訓練・設計レビューなど)と失敗コスト(手直し・クレーム対応工数など)の実測値に置き換えて読んでください。
| シナリオ | 予防 | 評価 | 失敗 | 合計 |
|---|---|---|---|---|
| 予防投資なし | 10 | 30 | 100 | 140 |
| 予防投資あり | 30 | 20 | 30 | 80 |
教訓は、品質を「コスト」でなく「投資」として見ることです。ただしこれは、予防投資が失敗コストの削減へ転嫁する構造を持つ場合の話であって、あらゆる予防コストが自動的に総コストを下げるわけではない、という留保はつけておきます。
検査工程やレビュー工程を「省く」といった削減提案を受けたとき、私はまずその提案を、トヨタ式「原価企画」でいう「7つの無駄」型(フロアに触れない削減)と、材料や検査そのものに手を入れる「価値を削る」型のどちらかに分けて見ます。後者だと判断した場合、次に問うのは削減額の大小ではなく、その提案が出る前に品質フロアがすでに1枚の紙に書けていたかどうかです。境界固定論の通り、境界が曖昧なまま個別の削減提案を検討し始めると、それがフロアの上にあるのか下にあるのかを判定する材料自体がないと考えています。フロアがまだ書けていないなら、金額に関わらずその削減は通さず、先にフロアを固定するべきだというのが私の立場です。フロアがすでに書けている場合にかぎり、コストプライシングの神髄の価格フロアと同じ発想で、削減対象がフロアの上(無駄)かフロアに触れる(価値)かという一点だけを見ればよいと考えています。
この判定を運用可能にするには、「コスト削減」をひとまとめに扱うのをやめる必要があります。次の二分は、品質フロアを基準に見直すと機能します。
| 種類 | 内容 | 品質フロアとの関係 |
|---|---|---|
| 価値を削る | 材料のグレードダウン、検査省略 | フロアに触れる。金額に関わらず不可 |
| 無駄を削る | 工程の効率化、在庫削減 | フロアの上でのみ発生。削ってよい |
トヨタが実践する「カイゼン」は、後者の「無駄を削る」アプローチです。品質フロアに触れずに、コストだけを削減します。
トヨタ生産方式が定義する「7つの無駄」は、フロアに触れない削減の目録として読み直せます。
| # | 無駄 | 内容 | 品質フロアとの関係 |
|---|---|---|---|
| 1 | 作りすぎ | 必要以上に生産 | フロアに触れない |
| 2 | 手待ち | 待機時間 | フロアに触れない |
| 3 | 運搬 | 不必要な移動 | フロアに触れない |
| 4 | 加工 | 過剰な加工 | フロアの上側(過剰品質の是正) |
| 5 | 在庫 | 余剰在庫 | フロアに触れない(鮮度が絡む場合は除く) |
| 6 | 動作 | 不要な動き | フロアに触れない |
| 7 | 不良 | 不良品の発生 | フロアを割ったサイン(削るのでなく直す対象) |
この目録に入らない削減、たとえば検査を「省く」ことや材料のグレードを「落とす」ことは、フロアの内側に手を入れる動きです。ここから先は、量の問題ではなく順番の問題として扱う必要があります。
トヨタとIKEAの事例は、すでに別記事で詳しく扱いました。ここで繰り返す代わりに、両社に共通する一つの構造だけを取り出します。
トヨタの原価企画は、量産設計に入る前に「許容原価」という価格側の境界を固定し、それを標準・オプションという仕様側の境界に変換します(詳細はトヨタ式「原価企画」)。IKEAは、完成品としてではなくフラットパックとして届けることを前提に、価格帯を先に決め、そこへ設計・物流・組立体験を寄せます(詳細はIKEAに学ぶターゲットプライシング)。
どちらも、削減に着手する前に境界(価格側の許容原価、あるいは仕様側の標準/オプション)を1枚の紙に書けている、という共通点があります。品質フロアという言葉で言い換えれば、両社は削り始める前に、フロアの位置をすでに決めています。
品質フロアは下限の話ですが、判定にはもう一つの軸があります。フロアより大きく上、顧客の期待を超えて品質を積んでいる部分、つまり過剰品質です。
| 水準 | フロアとの関係 | 問題 |
|---|---|---|
| 品質不足 | フロアを割っている | クレーム、離反 |
| 適正品質 | フロアの少し上 | 理想 |
| 過剰品質 | フロアから大きく上 | コストの無駄 |
たとえば、工業用部品では顧客が見えない部分に高品質仕上げは不要ですし、内部文書用の印刷品質は外部提出用と同じである必要はありません。どちらも、フロアから大きく離れた過剰品質の候補です。
過剰品質をどう見極めるかについては、顧客インタビュー、クレーム分析、競合比較の3つを組み合わせて「顧客が実際に求めている品質水準」を確認する方法が実務では使われます。それを超える部分が過剰品質の候補になります。
この過剰品質を削る技術としてよく参照されるのがVE(バリューエンジニアリング)です。ただしトヨタ式「原価企画」で扱った通り、VEが機能するのは境界(この記事でいう品質フロア)がすでに固定されている場合に限られます。境界が曖昧なままVEに入ると、削る対象がフロアの上か下か区別がつかなくなる、という点は変わりません。
コストプライシングの神髄は、価格フロア(これを下回ると提供を続けられない下限)を定義しました。本記事はその対概念として、品質フロア(これを下回ると顧客が離反する下限)を置きました。
並べてみると、2つのフロアは同じ設計行為の両面だとわかります。
| フロア | 何を守るか | 決める時点 | 割ったときに起きること |
|---|---|---|---|
| 価格フロア | 提供を続けられる採算 | 価格を確定する時点 | 値引きのたびに赤字が積み上がる |
| 品質フロア | 顧客が使い続けられる品質 | 削減に着手する前 | 削減額に関わらずクレーム・離反に転じる |
どちらのフロアも、削減や値引きが始まってから引く境界ではありません。始める前に引いておく境界です。
この記事の射程は、設計段階でコストの大半を決められる製造・製品型のビジネスに限っています。提供品質が担当者個人の技量に左右されるサービス業でも、同じ判定基準がそのまま使えるのか。ここでは判断せず、次に検証したい問いとして残します。
自社のコスト削減を検討するときは、金額を決める前に、品質フロアを1枚の紙に書けるかどうかを試してみてほしい、と思っています。