「原価に率を足すだけ」という受け取り方、「原価から考えると取りこぼす」という受け取り方、「原価起点だと顧客視点が消える」という受け取り方。コストプライシングをめぐる3つの誤解は、いつも別々の話として語られます。私は、原価起点で考えることそのものが問題なのではなく、原価に「下限を守る」役割だけでなく「最終価格を決める」役割まで担わせていることが問題であり、3つの誤解はすべてこの一点の言い換えにすぎないと考えています。
「コストプライシングは『悪』なのか?」では、原価を最終価格の決定装置として使うか、下限を守る装置として使うかで、「原価は価値を取りこぼす」という批判が当たるか外れるかが分かれると書きました。「コストプライシングの神髄」では、この下限装置を機能させる条件を、価格フロアと標準オファーという2つの言葉で運用に落としました。この記事はその続きです。2つの記事で立てた区別を、現場でよく聞く3つの誤解に一つずつ当ててみます。区別が正しければ、3つの誤解は個別に反論する必要がなく、同じ一点の言い換えとして同時に解けるはずだ、というのがこの記事を書く動機です。
議論を検証可能にするために、2つの言葉を先に固定します。定義があいまいなまま話を進めると、あとの主張が反証できなくなります。
決定装置としての原価とは、原価に一定の率を乗せた金額を、そのまま最終価格として確定させる使い方です。原価が動けば価格も自動的に動き、顧客が感じている価値や市場の相場は参照されません。
下限装置としての原価とは、「これより下には価格を落とすと事業が回らない」という一線だけを原価に決めさせ、そこから上の価格は市場水準や顧客価値の検討に委ねる使い方です。この一線を、「コストプライシングの神髄」にならって価格フロアと呼びます。
価格フロア = 回収したい原価 + 残したい粗利額
次の設例で確かめてみます(実際の案件データではなく、原価の範囲だけを動かした架空の数字です)。ある商品の価格フロアを、直接原価100万円だけで計算すると、粗利30万円を乗せて130万円になります。ここに提供運用コストとして20万円を足せば150万円、個別対応工数として30万円をさらに含めれば180万円まで動きます。式の形は「回収したい原価+残したい粗利額」のまま変わっていないのに、原価に何を含めるかという範囲の合意がなければ、同じ式から出てくる下限の数字はここまで違って見えます。「コストプライシングの神髄」が直接原価・提供運用コスト・個別対応工数・共通費という4区分を先に明文化するよう勧めているのは、この価格フロアのぶれを防ぐためです。
下限装置が機能するには、もう一つ条件があります。標準オファーの境界、つまり何を標準価格に含め、何を標準から外して例外扱いにするかです。この境界が引けていない状態で「下限だけを守っている」と言っても、実際には決定装置と大差ない運用になっていることが多いというのが私の見立てです。
なお、本記事ではコストプライシングとコストプラスをほぼ同じ意味で使います。呼び方の違いではなく、価格フロアと標準オファーの整理まで含めて原価起点を扱うかどうかが、この記事にとっての本題です。
ここから先、3つの誤解はすべて、決定装置と下限装置のどちらで原価を使っているかという一点に読み替えます。
もっとも多い誤解は、コストプライシングを計算式として扱うことです。見積書の表面だけを見れば、たしかに原価に一定の上乗せをしただけの数字に見えます。けれど、この誤解の実体は率が決定装置として置かれているか、下限装置として置かれているかの違いにあります。率をそのまま最終価格として固定すれば、それは決定装置です。
同じ商品名でも、納品範囲、初期設定、個別作業、継続支援の重さが違えば、同じ率では回りません。見積担当ごとに含める工数が違う会社では、「原価に率を足す」という表現だけが独り歩きしやすくなります。
率を疑う前に固めるべきは、価格フロアと標準オファーの境界です。少なくとも次の3点をそろえる必要があります。
この3点が曖昧なまま率だけを決めても、重い案件や例外案件が混ざった瞬間に価格の整合は崩れます。コストプライシングの役割は、見積を速くすることよりも、標準価格が成立する土台を作ることです。
次によくあるのは、「原価から考えると高く売れる余地を逃す」という見方です。この指摘は、顧客ごとの価値差が大きい事業では一部当たっています。用途や成果への影響が大きく違うのに、全案件を同じ原価ベースで扱えば、値付けは浅くなります。
ここで混同されているのは、価格の下限を作る作業と、どの価格帯で受けるかを決める作業です。下限を原価から作ることと、すべての案件を下限近くで売ることは別の決定です。原価に下限だけを守らせている会社なら、この誤解はほぼ当たりません。原価に最終価格まで決めさせている会社でだけ、この誤解は正確な指摘になります。
実務では、原価起点の考え方を捨てるより、役割を分けたほうが扱いやすくなります。
| レイヤー | 何を決めるか |
|---|---|
| 下限 | 標準提供を続けられる最低ライン |
| 中心価格帯 | 通常案件で提示する価格の幅 |
| 例外価格 | 個別調整や支援量が増える案件の受け皿 |
| 上振れ判断 | 顧客ごとの価値差をどう価格へ乗せるか |
この分け方にすると、標準案件では価格の安定を守りつつ、価値差が大きい案件だけ別の視点を重ねられます。原価が弱くなるのは、上振れの議論まで原価一つに担わせたときです。下限を守る役割と、上振れを探る役割を、最初から別の意思決定として扱えば、この誤解は生まれません。
原価から価格を組み立てると、社内の都合だけで決めているように見えることがあります。顧客がどの単位で価格を認識し、どこで高いと感じ、何に納得するかを無視すれば、原価計算が合っていても売りづらい価格になります。
ここで見落とされているのは、原価を整える作業と、価格をどう見せるかという作業が、そもそも別の仕事だという点です。原価は内側の作業、価格の見せ方は外側の作業です。原価に両方を担わせようとするから、「顧客視点がない」という誤解が生まれます。
顧客視点を取り入れるときは、次の観点で確認すると整理しやすくなります。
内側の原価整備と、外側の見せ方を分けて扱えば、「原価起点だと顧客視点がなくなる」という誤解はかなり減ります。
ここまでの整理が機能する場面には範囲があります。私は、「コストプライシングは『悪』なのか?」で書いたとおり、原価変動が大きく個別見積が多い継続運用型の事業では、価値仮説の検討より先に、原価起点で価格フロアを引くべきだと考えています。
条件をそろえると、原価起点が安定するのは次のような事業です。
この境界について、私は本数ではなく重なり方で判断しています。「コストプライシングは『悪』なのか?」で立てた原価変動幅・見積の個別性・説明責任の重さという3つの軸は、1つでも強く当てはまれば下限装置を整える価値があり、3つとも当てはまる事業なら整備は後回しにできない最優先事項になると考えています。【診断】あなたの会社に適しているか?の5つの質問に置き換えると、「はい」が4〜5個そろう事業は、私がここで原価起点をまず勧める側にはっきり入ります。「はい」が2〜3個にとどまる事業では、下限は原価起点で作りつつ、価格の中心は価値レイヤーに預けるハイブリッドの側に線を引くべきだとみています。0〜1個まで落ちる事業では、原価起点を先に置く理由がほぼ残らないというのが私の判断です。
一方で、次のような条件がそろう事業では、原価起点だけでは足りません。
私はこうした事業に対しても、原価をゼロにする必要はないと考えています。下限線としてだけ残し、価格の中心は価値レイヤーに渡す、という役割の絞り方です。
誤解を減らしたいときは、価格表を先に直すより、次の順で土台を整えるほうが早く安定します。
この4つのうち、私が最初に手をつけるべきだと考えているのは1番目の原価の範囲です。3段目の例外運用や4段目の見直しトリガーがどれだけ整っていても、原価の範囲が部署ごとに違えば、価格フロアの数字そのものが人によって変わってしまうからです。
3つの誤解を並べ直すと、内容はばらばらでも、指している境界は一つだけだったことが分かります。
3つとも、境界の反対側にある答えは同じです。原価には下限だけを守らせ、率の水準、上振れの判断、価格の見せ方は、原価の外にある別の意思決定に渡す。
自分の事業で、原価に何を担わせているかを確かめたい方は、【診断】あなたの会社に適しているか?の5つの質問で、担わせすぎている境界がどこにあるかを具体的に見てもらえればと思います。この記事で立てた一点が、実際にどこまで自分の事業に当てはまるかは、そちらで確かめたほうが早いはずです。
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